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KCC ボタニカルガーデンの歩み

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KCC Botanical Gardenおすすめ
KCC Botanical Garden

土曜日の朝、ダイヤモンドヘッドの麓で開催されてるファーマーズマーケット(朝市)があります。「KCCファーマーズマーケット」KCC Farmers’ Marketと言います。

KCCファーマーズマーケット」の「KCC」は「ハワイ州立大学 カピオラニコミュニティカッレッジ」University of Hawaiʻi Kapiʻolani Community Collegeの略です。ハワイ大学機構 University of Hawaiʻi systemの中でも最大の総合コミュニティカレッジです。1946年に創立、1965年にハワイ大学が管理する公立大学になりました。

ここの大学からはダイヤモンドヘッドとハワイカイ方面への海が眺められます。ファーマーズマーケットはキャンパスの駐車場で開催されます。

そして周りを見渡して散策してみると美しいサボテンや花があちらこちらにある事に気がつきます。

「KCCのボタニカル(サボテン)ガーデン」は日系2世の寺岡盛三氏 Moriso Teraokaによって造られました。

寺岡盛三氏とはいったいどのような方なのでしょうか。

1924年6月18日、寺岡盛三氏 Moriso Teraokaは、山口県からの移民のシカゾウ寺岡氏とミヨ夫人の三男として、ハワイ島ヒロのワイナクで生まれました。出生証明書のスペルの間違えにより英語名はMorisoとなりました。

1941127日、日本が真珠湾を攻撃しました。寺岡氏は第二次世界大戦が勃発した半年後にヒロ高校を卒業しました。

1943年、日本に対して戦争を宣言した日系アメリカ人の部隊である第442連隊戦闘団に志願し、第100歩兵隊に配属されました。

戦後、ホノルルに戻って来た寺岡氏は真珠湾の海軍基地で機械工として38年間働きました。最後の15年間は原子力船の監督責任者を務め、1985年に退職しました。

退職後、寺岡氏は家族のために料理の勉強をしたいと大学に入学する事にしました。1985年、彼が61歳の時にカピオラニコミュニティカレッジのペンサコーラキャンパスで料理のクラスを受講し、そのうち執筆などの勉強も始めました。

1988年夏のことです。寺岡氏は世界文明のクラスを取るためダイヤモンドヘッドのキャンパスに行きました。駐車場から階段を上がって行くと「スピリット ウェイ」Sprits‘ Way のブロンズ彫刻がありました。その周りに雑草が生い茂っているのを見つけました。

ここで寺岡氏にあるアイデアが浮かびました。彼の趣味の一つであるサボテンを植えてはどうか、、、と思いつきます。

Spirits’ Way by Mr Sean Browne

それから数週間の間、彼は小高い丘の土や雑草を眺めながら考えました。

ある日のことです。彼は生徒会長に「学校に費用はかからないようにします。私にここの雑草を取り除いてサボテンや多肉植物を植えて綺麗にさせてください」と頼みました。

学校の許可を取り、友人と学生5人とで草を刈り、家の裏庭から持ってきたサボテンを少しずつ植え始めました。これが寺岡氏のサボテンと多肉植物の 「KCCボタニカルガーデン」のはじまりです。

そのうちボランティアの人々も加わり、草を刈り、土をならし、石を置いて、サボテン、多肉植物、ハーブを植えました。段々と美しくなっていくボタニカルガーデンは皆の癒しの場所となっていきます。

1989年、寺岡氏はカピオラニコミュニティカレッジのジョン モートン学長John Mortonよりボタニカルガーデンへの偉大な貢献に対して功労賞を受賞しました。


2005年、モートン学長は彼の業績を称えたる碑文を掲げました。

「ビジョンとハードワークで美しい庭園を造り上げた寺岡盛三氏へ。カピオラニコミニュティカッレジの教職員、学生から感謝の気持ちを捧げます。」

30年以上の長い月日に渡り、寺岡氏をはじめ多くのボランティアがこのガーデンの手入れを続けており拡大してきました。

現在では全長は250メートル、深さは15メートルから30メートルの規模に広がっています。学生、教員、職員、近隣に住む人たちは大学を訪れる人々がこの美しいボタニカルガーデンを楽しめるように、また永遠に維持できるように願っています。

KCCファーマーズマーケットに来られた際にはぜひこの空間の美しさを鑑賞なさってみてはいかがでしょうか? 

ここにあった背が高いサボテン🌵です。

素晴らしい時間が過ごせますように。

(撮影は2020年9月18日です。)

MOMO🌈