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ハワイの英雄 デューク カハナモク氏

作成日:2022.07.06 / 最終更新日:2022.05.22

<この記事は2021年2月時点の情報です>

 

ワイキキのクヒオビーチには、大きなサーフボードを背に、

太陽の光を浴びて青い海に両手を広げている

デューク・パオア・カハナモク

Duke Paoa Kahinu Mokoe Hulikohola Kahanamoku の像が立っています。

デューク・パオア・カハナモクは1890年8月24日に生まれ、

両親と9人の兄弟(5人の兄と3人の妹)と共にワイキキ近くに住んでいました。

100%純血のハワイアンである彼は、

母親から「決して水を恐れず、できるだけ遠くまで行ってごらんなさい」

と言われて育ちました。

1901年にワイキキ初のホテル「モアナ・サーフライダー」がオープンし、

ワイキキに観光客が訪れるようになりました。

彼は、サーフィンやカヌーを教えたり、

水難事故から人々を救ったりする「ワイキキ・ビーチ・ボーイズ」の創設者の一人となりました。

時は1911年。デュークはハワイで開催されたアマチュア水泳大会に出場し、

世界記録を更新して周囲を驚かせました。

翌1912年、ストックホルム・オリンピックに出場したデュークは、

日頃の泳ぎの実力を発揮し、100メートル自由形で金メダル、

団体戦で銀メダルを獲得しました。

ハワイの人々のヒーローとなったデュークは、

ホノルルに戻ると何千人もの人々に迎えられました。

第一次世界大戦の影響でベルリン・オリンピックは中止されましたが、

デュークは1920年のアントワープ・オリンピック、1924年のパリ・オリンピックに出場し、

生涯で金メダル3つ、の銀メダル2つの水泳タイトルを獲得しました。

Waikiki Beach 1940’/ displayed at Moana Surfrider Hotel

当時、ハワイ王朝は終焉を迎え、西洋の新しい文化や信仰、習慣が導入されており、

その過程で、フラダンスやサーフィンなどの伝統文化は、宗教上の理由から弾圧されていました。

デュークの名前は、世界記録を樹立したことで国際的に知られるようになりました。

水泳選手としてアメリカ本土やオーストラリアなどに招かれた彼は、実際に人々の前でサーフィンを披露し、

それと同時に、サーフィンの技術を教え、波に乗ることの魅力や素晴らしさを次々と広めていきます。

こうして、サーフィンは世界中に広まり、

デュークは「近代サーフィンの父」と呼ばれるようになりました。

Displayed at Moana Surfrider Hotel

1932年、42歳のときには、水球でロサンゼルスオリンピックに出場し、銅メダルを獲得しています。

引退後は、ロサンゼルスで俳優として活動しながら、

サーフィンをさらに普及させるため、サーフィンに関わる人々との親交を深めていきました。

Displayed at Outrigger Waikiki Hotel

その後、1934年から26年間、ホノルルの保安官を務め、街の治安維持に尽くしました。

晩年はハワイの親善大使(アロハ大使)として、ハワイを訪れる人々を温かく迎え入れました。

1968年に77歳で亡くなりましたが、彼の名前は永遠に忘れられることはありません。

Beach Boys around 1937/Displayed at Moana Surfrider Hotel

ワイキキビーチにあるこの像はデュークの生誕100周年を記念し、

これまでの功績を称えるために1990年に建てられました。

2020年の東京オリンピックでは、サーフィンが初めてオリンピック種目に採用されます。

ハワイの英雄デュークは、ワイキキから世界に大きな贈り物をもたらしてくれました。

最後に、デュークが残した言葉をひとつご紹介します。

“Just take your time – wave comes. Let the other guys go, catch another one”

急がないで、波はやってくる。大丈夫、他に行かせて、君は君の波に乗ろう。

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