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KCC ボタニカルガーデンの歩み

作成日:2022.05.17 / 最終更新日:2022.04.27

<この記事は2020年9月18日時点の情報です>

 

土曜日の朝、ダイヤモンドヘッドの麓で「KCCファーマーズマーケット」KCC Farmers’ Marketが開催されています。

「KCCファーマーズマーケット」の「KCC」は、University of Hawaiʻi Kapiʻolani Community Collegeの略で
ハワイ大学機構University of Hawaiʻi systemの中で最大の総合コミュニティカレッジです。
1946年創立、1965年にハワイ大学が運営する公立大学となりました。

大学からは、ダイヤモンドヘッドやハワイカイ方面の海が一望できます。
ファーマーズマーケットはキャンパスの駐車場で開催されています。

また、周りを散歩しながら見渡してみると、いたるところに美しいサボテンや花があることに気づくでしょう。

これが「KCCのボタニカル(サボテン)ガーデン」です。日系2世の寺岡盛三さんによって造られました。
寺岡盛三さんはどんな方なのでしょうか?

1924年6月18日、ハワイ島ヒロのワイナクで、山口県からの移民であるシカゾウ寺岡・ミヨ夫妻の三男として生まれました。
出生証明書のスペルミスにより、英語名は「Moriso」となりました。

1941年12月7日、日本が真珠湾を攻撃し、第二次世界大戦が勃発。寺岡氏は、その半年後にヒロ高校を卒業しました。
その後、1943年、日本に宣戦布告した日系アメリカ人部隊である第442連隊戦闘団に志願し
第100歩兵隊に配属されました。

戦後は、ホノルルに戻り、パールハーバー海軍基地で38年間機械工として働きました。
最後の15年間は原子力船の監督責任者に就き、1985年退職しました。

退職後、寺岡氏は家族のために料理を学びたいと思い、大学への入学を決意しました。
1985年、61歳のときにカピオラニ・コミュニティ・カレッジのペンサコーラキャンパスで料理クラスを受講し
その後、執筆などの勉強も始めたそうです。

1988年の夏のこと。寺岡さんは、「世界文明」の授業を受けるために、ダイヤモンドヘッド・キャンパスを訪れました。
駐車場から階段を上っていくと、「スピリットウェイ Sprits’ Way」のブロンズ像の周りに雑草が生えているのを目にしました。
そこで、寺岡氏は、自分の趣味の一つであるサボテンを植えることを思いつきます。

それからの数週間、彼は小高い丘の上の土や雑草を見ながら考えました。

ある日のことです。彼は生徒会長に「学校に費用がかからないようにするので、ここの雑草を取り除いて
サボテンや多肉植物を植えてきれいにさせて欲しい。」とお願いしました。

学校の許可を得て、友人と生徒5人で雑草を刈り、自宅の裏庭から持ってきたサボテンを少しずつ植え始めました。
これが「KCCボタニカルガーデン」の起源となります。

やがてボランティアの人たちも加わり、草刈り、土ならし、石積み、サボテンや多肉植物、ハーブの植え付けなどが行われました。
植物園はどんどん美しくなり、みんなの癒しの場となっていったのです。

1989年、寺岡氏は、植物園への多大な貢献が認められ、カピオラニ・コミュニティ・カレッジ学長のジョン・モートン氏から
功労賞を受けました。

2005年には、モートン学長が彼の名誉を称える碑文を設置しました。

「ビジョンとハードワークで美しい庭園を造り上げた寺岡盛三氏へ。カピオラニコミニュティカッレジの教職員、学生から
感謝の気持ちを捧げます。」

30年間以上の長きにわたり、寺岡氏をはじめ、多くのボランティアが、この庭の手入れを続け、拡大してきました。

現在では、全長250メートル、深さ15~30メートルにまで広がっています。学生、教職員、近隣住民の皆さんは
大学を訪れる人たちがこの美しい植物園を楽しむことができ、いつまでも維持されることを願っています。

KCCファーマーズマーケットにお出かけの際は、ぜひこの空間の美しさに触れてみてはいかがでしょうか。

とても背が高いサボテンですね。

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